わたしのばあい

心の風邪など存在しないの…心にあるのは傷と痛みと…ざわつく風

子宮内胎児死亡~11・10・コウノドリ~

辛いお話しでした。
経験してる方はもちろんだと思いますが
未経験の方には、衝撃が強かったのではないかと…。

私は2度経験しています。
ドラマと違うのは、死産ではなかったという事。
1日の違いで、稽留流産扱いになりました。

もう21年&20年前の出来事だけど
診察の時の事、手術の事、術後待ち受けてた事
鮮明に覚えてしまっていることが
なにより辛いです。

なんで忘れてしまいたいこと程、忘れられないんでしょうね
どうして、理不尽な事が起きるんでしょうね

最初の子は、不妊治療から2年で授かった子でした。
診察の度、画面の端っこに出る
<出産予定日>が成長具合とずれてる事に違和感があり
医師に尋ねたところ

「あくまで目安だから。そんな神経質ではだめだ!」と一喝

不安を残しながらも、気にしないように、と神経質になった。

その後、ちっちゃな点のような出血。
切迫流産で入院を提案されるも、赤ちゃんの心拍はとても元気で
問題ない…はずだった。んです。
でも、日に日に胎嚢が濁ったように見えづらくなり
心拍もわかりづらくなり
10日後には見えなくなり
子宮内死亡だと言われました。

つわりも酷く、大量の出血もなかった。
なにより信じられなくて、手術予定の前日の夜
大きな病院に飛び込みで入って、誤診を願ったけれど
答えは、同じだった。
手術の後もつわりは続いてた。
もうお腹の中に赤ちゃんはいないのに、つわりの吐き気は酷くて
それが悲しかったです。

2人目の時は出血も、お腹の張りもないのに
心音が止まっていると言われて手術になりました。

ー「もう帰っていいですよ」ー
がらーんとした大病院の中に響くような大声で
あっさり言われた事は腹立たしかったです。

20年以上も前の出来事は、今も鮮明。
思えば、あの頃から私の時は止まってる。
今もあの年齢のままのわたしがいる。

20年以上の時が流れているのに変わっていない。
コウノドリの中のセリフが、当時のわたしとリンクします。

「私の髪が長かったから赤ちゃんは死んだんですか?」
「私がつわりでも、いっぱい食べてれば赤ちゃんは助かったんですか?」
「私が不妊治療してたから、薬や注射打ってたからですか?」
わたしが!わたしが!
そう責めることしかできなかった。
わたしより出血がひどい友達が元気でまるまるとした赤ちゃん産んだ時

「わたしと何がちがったの?」「どうして彼女は産めたの?」
そう思ったことで、自分を責めて自己嫌悪に苦しみました。

心ない身内や友人の言葉で、人が怖くなった。
「あなたは親になる資格がないって赤ちゃんが判断したんじゃない」
「私はすぐ子供できちゃうから、卵管縛る手術したよ
 すっごく痛いの、それよりマシじゃない?」
もっと、もっと言われた言葉
ずっと刺さったまま今も消せないでいます。

寄り添ってくれる人、支えてくれる人
いるといないとでは、その後の生き方が変わってしまう。

ドラマや原作を見た人も、そうでない人も
子供を亡くした母親の気持ちを察する気持ちを、知識を持ってもらいたいです。

「頑張れ」「またすぐできるよ」「次はちゃんと生みなさいね」
色んな言葉を言われたけれど
どの言葉だったら、心が落ち着けたのか
心を壊さずに進めたのか

今もわたしにはわかりません。